作品概要
リドリー・スコット監督によるSFスリラー映画。『エイリアン』の前日譚を描くシリーズの第2作で、同シリーズ第1作『プロメテウス』の続編。
スタッフ・キャスト
- 公開
- 2017年
- 製作国
- アメリカ・イギリス
- 監督
- リドリー・スコット
- 脚本
- ジョン・ローガン、ダンテ・ハーパー
- 原案
- ジャック・パグレン、マイケル・グリーン
- 原作
- キャラクター創造:ダン・オバノン、ロナルド・シャセット、H・R・ギーガー
- 製作
- デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル、リドリー・スコット、マーク・ハッファム、マイケル・シェイファー
- 出演者
- マイケル・ファスベンダー、キャサリン・ウォーターストン、ビリー・クラダップ、ダニー・マクブライド、デミアン・ビチル
- 音楽
- ジェド・カーゼル、ジェリー・ゴールドスミス、マルク・ストライテンフェルト
- 撮影
- ダリウス・ウォルスキー
- 編集
- ピエトロ・スカリア
感想・レビュー(ネタバレあり)
前作『プロメテウス』には大いに落胆させられたので、今作の出来はどうだったかと鑑賞している間ずっと前作と比べながら観ていた。まず第一に前作との違いとして挙げなければいけないのは、前作『プロメテウス』は「人類の起源」と煽っていく日本向けの予告が面白過ぎたことだ。本編には期待を裏切られて肩透かしを食らったが、予告だけはそのあとにも何度も見返したくらいだ(その度に「なんでこれがああなるんだ…」と嘆いた)。今作『コヴェナント』の予告は『プロメテウス』本編と同じような作品を想像させる内容だったので、「また最初からやるのか…プロメテウスを無かったことにしたいんだな」という悪印象しか無く本編に対する期待度が低かった。
今作のクルー達も前作同様に統制は取れておらずに感情優先で取り乱したりして自分勝手、相変わらずノーテンキのノーヘル軍団っぷりにクルー達の行く末も作品の出来も前作の悪夢の再来を予感させた。しかし中盤からの緊張感のある恐怖の連続には引き込まれるものがあったし、主人公ダニエルズとエイリアンの船の上でのバトルには見応えがあった。最も評価したいのは今作の脚本が前作でのデヴィッドの奇行を解説しフォローするかたちになったことだ。このことで前作の評価が少し引き上げられたといってもいい。また、「武器を持ってくるも血で滑って誤発射、戻って武器を取り直して撃ちまくってるうちに引火して船が爆発」というシークエンスは、台本的には大間抜けだが映像的にはかなり出来が良かった。
今作に出てくる白いエイリアンはカプコンのホラーゲーム『バイオハザード4』に出てくるクリーチャーの「リヘナラドール」(とその亜種の「アイアンメイデン」)に似ていて新しさがあまり無かった。フェイスハガーやチェストバスターは見慣れていて驚きが無いし、お約束的に出しているようにしか見えない。主人公のひとりダニエルズ(キャサリン・ウォーターストン)は女性お笑い芸人のハリセンボン近藤春菜さんに似ていると噂されているらしい。冒頭で船長が無くなり新しい船長に就くオラム(ビリー・クラダップ)は俳優の渡辺いっけいさんに似ている。
前作同様にSF映像は圧巻で、併せて細部で使用されているSEも良くて映画界最高峰のクオリティを感じさせる。エイリアンの「カカカカ…」という鳴き声はどこかで聞いたことがあるような気がするしありがちかな。後半のシャワーシーンでの惨劇はB級ホラー映画みたいだった。
本作のように、多くの仲間達が生き残りを賭けるスリラー作品には、冒頭に人物の紹介となるような台本を持ってくる場合が多い。人物の掘り下げが無い場合にそれを批判しがちな観客がその傾向を増長させているように思う。本作でもそのようになっているが、ベテラン監督ならではの美意識なのか、はたまたエイリアンを早く出さないとしびれを切らす観客たちへの配慮なのか、最小限ともいえる短い台詞やカットで人物の個性や物語を説明しようとしているため、「この台詞と演技で人物のキャラを立てたり、プロットをなぞったりしています」というように不自然で作為的に見えてしまう。「泣き叫ぶ女性を見て下さい、これが夫を失った妻のダニエルズで、人間的で情に厚い性格です」という具合だ。夫の窮地を目の当たりにして何もできなかったこのシーンでのダニエルズが有能そうには見えなかった。また、冒頭のウェイランド(ガイ・ピアース)とデヴィッドとのやり取りもひとつひとつが重要な台詞になっていて、ガイ・ピアースの演技が分かりやすさを強調しすぎていることも相まってわざとらしいシークエンスだった。
デヴィッドとウォルターが入れ替わっていたというオチは、ふたりの決着を見せなかったことからあえて観客に読みやすいように作られている。ウォルターには片手首が無いなど、ふたりの間に分かりやすい相違点があることも裏をかきたがる観客へのヒントになっている。つまり、無い手首を偽装するのは難しいから入れ替わっているはずがない…というのが逆に怪しい!と思わせるのだ。ただしそのヒントを忍ばせておく演出を追求するあまり、ダニエルズが一度もウォルターを疑わないという違和感の残る台本になってしまっている。デヴィッドがウォルターを偽装したのなら、それをダニエルズに確認させてその周到さを観客に見せるシーンを挿れるべきじゃないだろうか。小屋の話で入れ替わりに気づくというのも少し分かりにくかった。顎の傷で気づくのかと思ったが、傷は無くなっているようだ。最初に観た時は、傷が無いことから、入れ替わっていたとみせていた台本すべてがミスリードなのではないかと疑った。しかし、それだと彼が最後にデヴィッドを名乗っていることの意味がよく分からない。彼がウォルターだとしたら自作のラスボスとしては力不足か。いずれにしても次作は『プロメテウス』と『コヴェナント』の間の話らしいので、このことが明かされることは無いんだろうな。